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ちゃーりーの「どっからでもかかってきなさい」

ジャイアンだとしても、映画版です

人生部分点(テ)

ひとになにかを説明して(説明A)、例えば、わかりにくい、と言われたり、それどういうこと?と言われたとする。それで説明をしなおすと(説明B)、より良い説明ができる(できたと思う/できたと言われる)ことがよくある。そういうときに、本当に説明の質がA>Bなのか、それとも単に、AとB、ちょっとだけ違うふたつの説明をされた相手が加算的に納得したのか、はたまた自分が加算的に納得しただけなのか、は、わからないといえばわからない。AとBを無作為に比べてもらっても、意見がバラバラになることがよくある。答えは結局ないわけだけど、やはり、なるべく多くの(良質の)検討を重ねることは当然重要だろう。そんなわけで、申請書とかを書くときは、いろんなバージョンができることになる。あ、もしかして、その過程で、もう話を聞きたくなくて素晴らしい!と言われることもあるかも笑。

サイエンスのことだけじゃなくて、物事を真面目に真面目に考えていくと、マルバツ式の答えなんてなかなかないんだ、ということに気がつく。小学校一年生のときに六年生をみるとえらい大人だなあ、と思うのと同じ感覚で、30歳は答えをたくさん知っているんだ、と思っていたけど、むしろ、答えの分からんことは増えるばかりだ。(本質や理屈を無視して)マルバツ式の答えばかりを追い求める癖がついてしまうと、刻一刻と変化する環境に適応できなくなるんじゃないかな、と思う。