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ちゃーりーの「どっからでもかかってきなさい」

ジャイアンだとしても、映画版です

正しいということ

日常

ウェブ上の某対談を読んで思ったこと。また、最近、長女が、「大きいっていうのはどうして大きいっていうの」的なことをたくさん聞いてくるので思ったこと。

 

正しい、ということは、書くには容易いけれど、突き詰めて考えていけばとっても難しいことだ。この世にうまれて29年、もうじき30年になろうとするけれど、「正しい」ということの難しさが分かってきている気がする。世の中は言うほど単純ではない。当たり前のことなのかもしれないけど。

 

連想していくと、いつも「火の鳥」を思い出す。確か「太陽編」だ。宗教戦争のむごさをいた火の鳥が言ったのは、確か。。。

 

1. 宗教とは人間がつくりだしたもの

2. だからどちらも正しい(or 間違っていない)

(3. だから争いが起きる)

 

というようなことだったかな。物事が正しいかどうか、というのは、よほど分かり易い場合を除いては、こういう感じになるのだ。結局、信念とか、思い込みみたいなところに話が落ちてしまうことがあるだろう。とくに、方針なんかを考えるときはそうなるような気がする。

 

研究でもこういうことはよくあるし、研究外だともっともっとたくさんある。もちろん、自分が、理屈からいって間違いをおかしているときは、素直に認めて、どんどん直していくべきだ。とはいえ、情報氾濫社会、正しいかどうかが分からない(定義できない)状態で、自分が納得できないのにどんつか変更を加えていったら、大変なことになってしまうかもしれない。

 

こういうときにいつも思うのが、ベースラインに、家族や、自分のことをよく知る、自分を好いてくれるひとたちが近くにいることがいかに大事か、ということ。僕は小さな頃にいろいろあって、母に、世の中の90%以上の人間はあんたのことなんか考えていないし、もしかしたらいやなことをしてくるひとかもしれない。でも、必ずひとりは味方がいる。だから好きに生きなさい、と言われた。

 

結局、ミもフタもないけど、そういうことだ。最終的には、自分。結果論だ。結果の真の価値は、時間がたってはじめて分かる(分からないかもしれない)。人生そんなもんだ。変に惑わされすぎないこと。芯と信念をもって生きていこう。少なくとも、表面上人気者になるためとか、ひとに認めてもらうことをプライオリティとして生きているわけではないんだから。天上天下唯我独尊でいこう、っていっているわけではない、念のため。