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ちゃーりーの「どっからでもかかってきなさい」

ジャイアンだとしても、映画版です

「基礎vs応用」という無意味な構図に対する違和感

日常

毎日の社説に関してのコメント(http://mainichi.jp/opinion/news/20131009k0000m070109000c.html)。

「素粒子探しは純粋な基礎科学であり、すぐに何かの役には立たない。日本の科学技術政策は応用を重視する「出口志向」が強まっており、こうした研究にどれ ほど投資するか議論はあるだろう。しかし、人間の知的好奇心に応えることは科学の営みの重要な役割だ。基礎科学への人々の関心が高まり、科学分野に進む若者が増える効果にも期待したい」

納得できる部分もあるのだけれど、こういうのを 書くときに、なぜ、「応用重視」が「好奇心に応えることにつながらない」と読めるような、「応用vs基礎」の構図が作られるのだろうか。応用へつながりそうでかつ基礎的に面白そうな問題というのは結構あると思うのだけれど。純粋基礎をやりたいなら基礎をやるんだと思い切りやれば良いし、応用をやるならそう すれば良いし、どっちもやりたいなら多いにいいじゃないか。やりたいこと、やると言ったことをきちっとやって、きちっと評価されたら良い。問題は、こういう構図をつくりたがるひとに限って、基礎的にもつまらないし何の役に立たない中途半端なこと(=ただのお金の無駄遣い)をやっていることなのではないかな、ということだ。僕の尊敬する研究者たちから、応用がいいか基礎がいいかなんていう意味不明な二元論を聞いたことがない。

僕が大事だと思うのは、基礎だろうが応用だろうが、そこに夢があるか、だ。その研究をしている本人が、そこに夢を感じているか?そこに知的な興奮を覚えているか?その面白さに自信をもっているか?もしその要件が満たされているのであれば、ひとにそう思ってもらうことはそう難しくはない気がする。「科学分野に進もうとする若者」を増やすことはそう難しくない気がする。例えば、プロ野球選手になりたい、と、こどもが思うのはどうしてか?甲子園に出たいのは?初期的には、そこに夢を感じるからじゃないのかなあ?つまり、自分もああいうふうにあそこに立ちたい、と感じているからでは?ともかく、「基礎vs応用」という構図は、間違っているし、無意味だと思う。