読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ちゃーりーの「どっからでもかかってきなさい」

ジャイアンだとしても、映画版です

母帰る、オナラと研究

日常

1ヶ月半、家のことを手伝ってくれていた母が帰国。本人たっての希望で電車でえっちらおっちらJFKまで送っていった。さっきスカイプで機上からメールがきた。便利な世の中になったものだ。

 

そのあとラボにいって、細胞の世話とChIPの続き、そして各所にいろいろ相談のメールをした。研究をするっていうのは難しいよなあ、と毎日実感している。いまが面白いからといって次の一手が面白くなるとは限らないし、いまがつまらなくても次がつまらないとも限らない。スタートがとても良くても終わりがてんでダメかもしれないしね。最初すごいつまらないなあと思ってもいきなり確変とかね。

 

その評価に対する主観の入り具合とかをみても、やっぱり、恋愛に似ているなあと思わなくもない。すごいイケメンと思って付き合いはじめたらすごいオナラが多くて臭いヤツだということが分かったけど最後にはオナラで演奏できることが分かってあら素敵、みたいな感じですか。全て結果論だけど、感覚を研ぎすまして頑張っていきたい。オナラオーケストラを好きかどうかは主観による。これが新しいかもね。ゲップで演奏できるやつを知っている、コンセプトは同じじゃないか、とか。

 

この主観にまみれた世界を少しだけ客観ぽくできるように思わせる魔力があるのが、「役に立つか」とか「大事か」というところなのだろうと思う。どんなにつまらないと思っても、それが明日ひとの病気を治すならば、と思えてくる気がするし。でもそれはそれで、なかなかないよね、やっぱり。

 

ネイチャーに出ていたRoederの論文、なかみがどうのという前に(注)その盛りだくさんさに驚いた。生化学とかオミクス、そして構造で進んでいって、最後には病気のモデルマウスにおいて、見つけたものが「大事」たることを示す。すごいストーリーですわ。AML-ETOなんて超有名だし、研究しつくされたやろ、って簡単に言われそうなものだけど、ブレなかったんだろうな。

 

(注)なかみがどうの=ちゃんと読んでいないという意味