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ちゃーりーの「どっからでもかかってきなさい」

ジャイアンだとしても、映画版です

ちょっとした思考の方向転換

別に何をするかが変わるわけではなくて、ただの気持ちの方向転換。

 

僕がアメリカに来て驚いたことのひとつは、僕のまわりにいる研究者たちが、どうやったらものすごくインパクトのある研究をできるか、キャリアアップできるか、というようなことをものすごくよく考えている、ということだった。僕はもとよりそういうことを結構考えるほうだったのだが、その僕がちょっと驚くくらいのノリだった。

 

僕はこの空気が嫌いではなかったし、そもそも染まりやすい性格でもあるので、知らず知らずのうちに、思考回路がそっち系になっていたようだ。結論からいうと、これは僕にとって少し問題だった。問題というのはとどのつまり、結果として、少しサイエンスを楽しめなくなっていた、ということだ。

 

こういうことが起きた理由は、僕が、インパクトを測る際に、「その研究分野の流れ」であるとか、「その研究分野にいる研究者たちの視点」を使っていたことだった。すなわち、他人目線の考え方をしていたのだ。これは決して悪いことではないと思う。悪いどころか、サイエンスの世界を例えばサバイバルゲームとみなしたときには(実際にそういう側面が結構ある)、ある意味必須の考え方かもしれない。実際、こういう考え方でもって物事を考えたからこそ、このプログレスを得られたのかもしれない、とも思う。

 

でも、何度か書いている通り、原点的には僕は楽しいからサイエンスをやっているんであって、どうも、この気持ちと、上記の考え方は、互いにぶつかってしまうようだ。特に、「他人視点で面白いこと」と「個人的に面白いこと」がずれたときに。そして、僕は、このずれに直面することが非常に多い。これは、僕に独特のセンスがあるからなのかもしれないし、単にセンスがないのかもしれないが、そういうのは全部結果論でしかないので、考えてもしょうがない。

 

まあ結局、最近は、原点に立ち返って、あまりスレたことを考えずに、純粋に楽しいと思うようにやってこう、と思っている。単に気の持ちようを変えただけであって、やっていることは何ら変わらないんだけど、そういう気持ちに持っていった途端、面白いデータがぽぽぽぽーんと出たりして。こういう側面でも意識的に「変化」をもたらすのは、自分を御するにあたって重要なのかもしれない。なので、この気の持ちようもまた変化するものだろうけど、何となく書き留めておく。