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ちゃーりーの「どっからでもかかってきなさい」

ジャイアンだとしても、映画版です

ちょっとだけ分かってきた

僕はサイエンスは楽しい、と思っていたふしがあって、メンターに、そんなわけあるか、と言われていたんだけど、最近、実感として、ちょっとだけわかってきたような気がする。確かに、サイエンスが好きではあるけど、楽しくはないというか、楽しむような余裕はないというか。どちらかといえばずっと胃が痛いもんね。言葉じりでわかるのと、実感としてわかるのは、ちがう。

 

最近ひとつ論文が通った。Proofをしながら別の論文やデータ解析をしているような感じで、喜んでいる時間はあまりない。というか、ハードなリバイズが、、、がんばってひとつずつ。

 

もう5月

あっという間にもう5月。

 

相変わらず論文、論文な状況なのだが、その次の一手でいかに有効手をうつか、ということで多少難渋している。現象としては確定していても、見ているフィールドが広いと、どこが本質なのかを見極めるのが難しい。

青天の霹靂

最近、私生活の方で青天の霹靂的なことがあり、本当に驚いたし、冷や汗をかいたし、まだ解決はしていない。でも、不幸中の幸い、という流れになりつつあるし、そういう気持ちで前向きに対処していきたい。

 

このことがあって、やっぱりちょっと頭が回らなくなって、いかにここ数年、自分がサイエンスのことだけ考えていたかがよくわかった。少しずつ落ち着いてきて、元に戻りつつあるけど。今旅に出ている論文たちを早め早めにあがらせていかないと、次が詰まってしまうから、頑張ろう。

 

私生活のことも相まって、本当に、自分の一番やりたいことがどんどん明確になっている。青天の霹靂が、後であれは「メッセージ」だったんだな、と思えるように、毎日を大事にいきていこうと思う。

論文発表

現所属になってグループを持ってからちょうど3年、一つ目の論文を発表することができました。"Remote reprogramming of hepatic circadian transcriptome by breast cancer"という内容です。

 

研究の流れとして、重要な位置付けにくる論文になるだろう、と思っています。この他数報のレビュー中の論文もうまくいくといいのだけど。

 

www.impactjournals.com

 

ビビッとビジョン

昔からよく、ビビッとビジョンが浮かぶことがある。自分の未来が見えるような感覚で、良いことに対しても、悪いことに対しても、ある。そうやって浮かんだイメージは実現することがとても多くて、僕はこれを、説明のつかない何かだと思っていた。ビジョン、(良いことの場合は)天命、よく当たるカン。そんな理解をしていた。

 

のだけど、最近、「そういうことがある」ということを知人から聞いて、このビジョン、どうもカンでもなんでもなくて、自分自身が潜在的に行っている観察、分析、判断やなんやの集合体なのではないか、という考えにたどり着いた。

 

30年以上生きていると、人生において考えるべき軸の数が増えていく。自分だけでコントロールできる軸もあれば、周囲の環境に強く影響される軸もある。軸同士は独立の場合もあるし、相互に複雑に影響する場合もあるだろう。僕の場合、どうも、この軸のバランスが「最適だろう」という状態にあることが幸福度と強く関連しているらしくて、意識的、あるいは無意識的に、そのバランスを動かしているらしい。

 

バランスは、長く安定して続くような時もあるし、それこそ数日の単位で遷移していく時もある。この遷移状態が重要で、これは、「新しい解」を探しているような状態なのだと思う(だと思う、というのは、だいたいこれは潜在的に行われる作業らしいから)。どうも、(良い)ビジョンの一部は、ここでいう「バランスの新しい解」がパチッとはまったような時に浮かぶらしい。ビジョンは大抵、最後にハマった軸のことが浮かんでいる気がする。例えば、あとみかんさえあれば新しい解にたどり着く、と思った時に、「自分はみかんを手に入れる」ということが浮かぶ。

 

この間、すごく多くの分析、計算、判断が動いていて、自分の性質や実力を「正直に」調べているっぽい。なので、例えば、アメリカ大統領になる、とか、火星にいく、みたいなビジョンが浮かぶことは絶対にないのだ。それが新しい解に繋がるとしても、自分の実力や志向性的に全く届かないものが最後の軸になることはない。上の例では、自分はみかんを手に入れる実力があるし、みかんは他の軸の状態の状況から考えても良い追加なのだ、ということが判断できているから、「みかん」と浮かぶ。

 

このビジョン、矛盾するようなんだけど、自分で意識的にコントロールすることはできない。軸が増えれば増えるほどそうなってきていると思う。なので、「自分はうまくいく!」というように、自分を説得することはできないし、自分に嘘をつくこともできない。「うまくできないだろう」というビジョンが浮かんだら、敗戦処理を考える。そこからめちゃくちゃに好転することはまずないから。

 

こんなことを考えていったら、僕がこれまで「天命」みたいに思っていたことは、「自分並びに自分の周辺環境に対する観察や分析に基づいて自分が潜在的に下した判断に基づく自分への命令」なのかな、と思うようになった。

 

これを考えてて出てきたところだけど、無理やり「イメージ」を作ってからそこに向かう、ということをしたことが実はない。あくまでたくさんの軸のバランス、自分の実力なりなんなりがきちっと調和した時に初めて、近未来の「イメージ」が勝手に出てくるのだ。近未来とは言っても、大抵、他の人から見たら遠く見えるらしくて、例えば奥さんに言わせたら、「はい?何言ってるの?」となるのでした。

逃げ恥

凄まじい破壊力である。シナリオだけ見れば、荒唐無稽だと言って良いかもしれない。コンセプトとしては、「大人に中高生な恋をさせる」ということなのかな、と思う。ほとんど「耳をすませば」に近いようなノリだし。「めぞん一刻」よりはだいぶ子どもっぽいし。

 

そもそも、あれだけお互いに印象の良い男女が、あんな風になるわけがない。おかしい。どう考えてもおかしい。契約結婚てなんだ。ハグの日ってなんやねん。なんでそこでひくねん、あほかっちゅーねん。

 

僕は、ドラマだろうが映画だろうが、制作側の背景やテクニックを勘ぐってしまうタイプであり、そんな僕とは何もみたくない、という人はいる(e.g. 奥さん)。そんな僕に、「こ、こんなツッコミはどうでも良いな」、と思わせる、ガッキー。恋ダンス。ガッキー(と星野源)が、全ての問題を吹き飛ばしている。

 

凄まじい破壊力だ。

オープンハウス

目下進行中のプロジェクトの概要について、たくさんのひとと話せた。話はどんどんわかりやすくなっている。がんばろう。